数ヶ月に一度、行かないと済まないこちらへ

YAMAHA銀座、入り口の今は何だろう‥
楽譜の調達に来たのですが、毎回、これが楽しみで来ます
今回は、AI化されたピアニスト よみぃさんとセッションできる体験イベントでした🎹
新しい!
世の中はどんどん変化する
昭和の自分、ついていけなくなるものばかり💦


楽譜売り場には、ピティナの級別課題曲の楽譜コーナーがあった👀
いつも、旬のもので埋め尽くされている店内
今年度もいよいよコンクールの時期が始まる‥と大所帯のピティナがその雰囲気を出していました
元々、ひとりの生徒さんがコンクールに出たい!と言った鶴の一声がきっかけだった
何のコンクールにしたらいいのか?迷っていたとき、こちらYAMAHA銀座店のコンクールのチラシを見て、生徒さんを参加させてみたのが始まり
あれから、毎年、生徒さんが参戦し⁈ 充実した時間を生徒さんと過ごさせていただいている
それまでコンクールとは無縁だったのが、一度参加したら、すっかりコンクールにハマってしまった
世界が変わった
井の中の蛙にならないように、時代に遅れないように、ピアノ指導の勉強を怠らないように‥コンクールは沢山色々な刺激を私に投げかけてくれる大切なものとなった
楽譜購入後、重いのに💦大好きな銀ブラはする

Falconeriのショーウィンドーに🎹が見えたので、近寄ってみたら
3月28日に死去した坂本龍一の訃報を受け、彼へのメッセージが書かれていた
FALCONERIと言えば、イタリアンカシミヤブランド だ
音楽の分野ではない、しかも海外のファッション業界からも、これまでの彼の功績に尊敬と哀悼の念が示されていたのである
さすが、世界的ミュージシャンだった証し
人は死んだときに、その人間たるがわかるという
素晴らしい音楽家であり、人徳をも持ち合わせた人物であったと思う
世界の人に愛された坂本龍一
改めて、彼の偉大さを感じた


世田谷区出身だったこともあり、彼の小さい時の逸話を、雑誌などから知った記憶のいくつかを、紹介させていただきます
小学生の頃、友達と遊びたい欲求に負けないのが大変だった
それはピアノの練習
ランドセルを置いて直ぐにも外に出て遊びに行きたいが、それは絶対許されることではなかったという
お母様との約束で、毎日、先ずはピアノの練習をする🎹というのがあったそうだ
自分は遊びに行けない、その時ばかりは、友だちが羨ましかったと‥
又、グレングールドに憧れ、グールドがピアノの椅子が低かったので、真似して、レッスンでやってみたら、先生に「今日は、ばかに椅子が低いわね」と即、直されたこと
(グールドはこの高さだから‥という言葉はグッと呑み込み、黙って先生に従ったそうです)
ツェルニーだったか?何度も注意されながらも大抵のものは克服していったが、どうしても弾けない箇所があり、とうとうその箇所に至っては、先生が折れて「もうこれはいいわ‥」と諦められたことがあったこと
‥へぇ‥どれも、普通の男子のやりそうなことで、親しみがもてるなぁと思った
天才でも、ちゃんと小さい時から努力をされ、毎日の〝日課(ピアノの練習)〟をこなしていらしたこと
それが辛かったこと
‥みんな同じなんですね!
しばし、ショーウィンドーの中に引き込まれ、合掌しました🙏
坂本龍一氏、どうもありがとうございました
お疲れ様でした
作られた曲は、ずっと残り、生き続けます🎼
沢山の人々があなたの音楽を愛しています、これからも‥‥